その後の碓氷峠−2

アプト式時代の面影 その2


 前回廃線前に訪れた際には近づけなかった記念碑や、時代を刻んだ”あるもの”を撮影できましたので、ご紹介いたします。



前回近づくことのできなかった歯車の碑。

「刻苦七十年」と刻まれ、長年ここで活躍したアプト式の記念碑です。今回この記念碑のすぐ脇に停留所が新設されたため、間近に見ることができるようになりました。


旧第16中仙道踏切

ここを通り過ぎようとしたら・・・。


なんと側溝のカバーに使用されていたのは、旧アプト式時代のラックレールそのものではないですか。こんな風に再利用されていたのですねー。

しかしこの踏切も、もう使われなくなってしまいました。


「新たな発見をしたなぁ」と思って横川駅に帰ってきてみると、なんと駅前の溝にも同様のカバーが!
ちょうど、駅前のおぎのや本店からの溝の上にカバーがかかってました。


しっかり見ると、山の両側でちゃんと形が違ってます。勾配の下側で歯車に当たった側は削れたり、融けたりしてるわけです。時代を刻んだ跡なんですよね。

注:山の間隔が違う(画像の右側で狭まっている)のは、撮影時のレンズなどの歪みです。


前回は電車の中からかろうじて撮影した「準鉄道記念物国産アプト式鉄道」と書かれた建物。今回は反対側からズーム撮影したのですが、中にあった機関車はなくなってました。


どうも現在建設中の「横川鉄道文化むら」のために、改修されていたのではないかと思います。

その後の情報では「碓氷峠鉄道文化むら」として1999年4月18日にオープンするそうです。楽しみですね。


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